ゲイリー・レナード語録

ゲイリー講座のゆるゆるメモ

ゲイリー講座 (57) 奇跡が時間を節約する理由

【第57回】
A Whole Month of Q & A! (Part 1)
https://www.crowdcast.io/e/qa-jan-2021/1
2021/01/14(PDT)→JST 01/15 10-12時

 

★Q1 無意識の闇をほじくり返す必要性

「自我の最もネガティブな闇の部分を見つめることの重要性について話してもらえませんか?A&Pはそこまでする必要はないと言っていたようですが、ケン・ワプニックは「一部の学習者にとっては必要である」と言っているように思います。」

11 ゲイリー:A&Pは「ほとんどの場合、自我の深い闇をわざわざ掘り返しに行かなくていい」と言っている(J&B本8章p254-255)。君が赦さなきゃいけないものは目の前にあるから。12 だから赦すために深い闇を探す必要はない。ケンが話してた一部の例外というのは「常にポジティブ思考でいるような習慣を身につけたせいで、結果的に自我を否定してしまっているタイプの人々」のことだろう。彼らは、この世界の真の本質、自我の真の本質を見ていかなければならない人々だ。
だけど、ほとんどの人々のケースでは、僕たちが赦す必要のあるものは自然な方法で目の前に現れる。そしてほとんどの人にとって、赦す対象に不足することなんかないって分かるだろう(笑)。 「完璧なレッスンは常に目の前にあるけど、それが認識されることは稀だ」ってコースにあるようにね(M-3.5)。13 だからわざわざレッスンを探しに行く必要はないが、目の前にレッスンが現れたときにそれを認識し、自分のすべきこと(赦し)をする必要はあるってことだ。

 

★Q4 大統領選における国の分断をどう見るか

「(今回の大統領選で)国が分断してしまいました。うちの近所には、トランプが勝つべきだと信じるあまり、内戦が起こることを真剣に望んでいる人達がいます。これを戦場の上から見るべきだと分かっていますが、彼らの言い分はおっかないです。」

22 シンディ:気持ちは分かります。そのように感じているのはあなた1人ではありません。確かにこの大統領選では多くの対立がありました。でも、もしコースに忠実でいるなら、「何かの肩をもつ」という自我の誘惑には気をつけたいものです。
23 それは別に「あなたは意見を持つべきではない」という意味ではありません。意見を持つことは構わないし、好みがあってもいい。私たちは選挙しなきゃいけないし、自分が良いと思う人に投票すべきでしょう。でもコースが言うのは、それをリアルにする必要はないということ。もし私たちが特定の結果にひどく執着しているのなら、私たちは世界に囚われたままになるということです。
だからって、私たちは行動すべきではないという事にはなりません。導きに従ったり、物事を行ったり、意見を表明する事だってあるでしょう。だけど、それらを執着なしに行うことは可能だということです。「他の人は間違ってる」などと決めつけることなしに。

 

★Q5 ちっとも愛せない人がいたらどうすべきか?

「"(T-12.II.2)...ひとりでは神を思い出すことはできないからである..."という箇所を受け入れるのは難しいです。神のもとに帰還するには、すべての人を愛さなければいけないのですか?ちっとも好きになれる気がしない人がいたらどうすればいいのでしょう?」

30 シンディ:一なる神の子を愛することが必要、という意味ではYESです。ただしこれは、実相(Reality)の観点からの話。あなたは別に、彼らの(好ましくない)振る舞いを愛する必要はありません。あなたは彼らの自我を愛する必要はないのです。なぜなら自我は彼らの本当の姿ではないのだから。
だけど、コースの言う愛に基づくなら、あなたの赦しはall-inclusive(全包括)である必要があります。31 もしあなたが誰か嫌いな人、愛せそうもない人に対する赦しで問題を抱えているなら(その人を赦せないなら)、あなたは一なる神の子を除外していることになってしまいます。でも、あなたはただ「ひとりしかない」という事に対して注意深くあればいいのです。それだけです。そうすればやがて、「私たちはみな同じである」「そこにはひとりの神の子しかいない」という理解に到達していきます。
その神の子の一側面を愛せないとき -- あなたは他者を見るように自分を見ることになるので -- その赦せなさ、愛せなさは自分にかえってきてしまいます。つまり、自分で自分を傷つけていることになるのです。なので、「そこにはひとりの神の子しかいない」ということを覚えていれば、すべての人を無条件に愛したくなるでしょう。

 

★Q6 コースが時間を節約を勧める理由

「世界が台本通りだとして、ある友達が世界のひどい出来事について"これは私たちが同意したことだから"と言います。でも、私たちこの状況に同意したなんて有り得ますか?コースはこの考えをどう見ていますか?」

34 シンディ:「天国から離れて」の一節を思い出しました。Jがヘレンに語りかけているところで、彼は世界のひどい状態について「天上界の計画の迅速化(celestial speed-up)」が必要だと言及しています(→7章p232)。だから、人々の心をより早く変えられるように、一部の人々がその才能を使うために呼び戻されたといいます。35 それがコースのしていることであり、人々の心をより速やかに変えさせてくれます。
では、奇跡が私たちの時間を節約するのがなぜ大切なのか?それは実在しない夢の中の時間において急いでいるからではありません。(聖霊にとって)そんな事はちっとも重要ではないのです。
コースによる時間の節約や「天上界の計画の迅速化」が大事なのは -- その理由は、あまりにもこの世の苦しみが大きすぎるからです。この時間短縮は、愛ある呼びかけなのです。聖霊は「見なさい、この苦しみから抜け出す方法はあるし、これ以上待つ必要はないのだよ」と言っています。36 奇跡は時間を節約してくれるので、コースの赦しを実践すると、特定の時空のインターバルが消滅します。そのことは全ての神の子にとっての利益となるのです。これはとても美しいことです。

 

★Q13 Jのユーモアのセンスについて
「Jの人生について聞きたいです。Jは普通の男性のように振る舞っていましたか?彼は面白かったですか?ユーモアのセンスは悟った人の特徴なのでしょうか?」

1:05 ゲイリー:(2000年前)僕らが旅してたとき、ほとんどの場合、Jは何も言わなかったし、特に目立とうともしなかった。聴衆の前で話すとき以外はね。だがJは弟子たちとは友達だった。
そしてJにはユーモアのセンスがあったよ。それも格別にウィットに富んだやつが。Jはとても賢くて、時々そのジョークがしばらく誰にも分からなかったりね。彼はコースでも時々そういう事をしているから探してごらん。きっと彼のユーモアのセンスを感じるところがあるだろう。1:06 たとえばYou're no longer wholly(holy) insaneとかね。ときどきこういう面白い事が書いてある。Jは2000年前もそんな感じだったんだ。
彼は特別な素振りはしなかった。だが彼は教えた。多くの場合、たとえ話でね。Jは通常は普通の男性のように見えたよ。マリアと結婚して、普通のカップルだったし。互いの愛情表現については、当時の人々に比べてややオープンなほうだったけどね。
僕は、ユーモアのセンスは悟りの一側面だと確信している。

 

ゲイリー講座 (56) 復活のとき教えたこと

【第56回】
The Lessons of the Holy Spirit, from ACIM Ch. 6, Section V
https://www.crowdcast.io/e/lessons-of-the-holy-spirit/2
2020/12/29(PDT)→JST 12/30 10-12時

 

密かに恥じていること
26 ゲイリー:僕らが犯した罪だと思っているものは幻覚(hallucination)だ。自分が過去にしてきたと思ってる悪いこと、誰かに言ったひどい言葉、君が密かに恥じていること、世界でこんな事をしてるのは自分ひとりだろうと思うようなこと(これら全てが幻覚だということ)。ただ、実際にやってるのは君ひとりじゃないけどね。
一度オランダでワークショップをやった時だと思うけど、ある女性が自分について非常に恥じていた。しかし彼女は、かつて自分がやった「酷い行為」についてブレイクスルーがあったという。そして彼女はみんなの前で、その酷い行為について告白した。「じつは私、シャワー中におしっこしちゃったの」と。僕は思わず「。。。それだけ?」と聞いてしまった。で、「この中の何人がシャワー中におしっこしましたか?」と会場に聞いてみた。そしたら半数くらいが手を挙げたさ。でもって、たぶん残りの半分は嘘をついてるとみたね(笑)。
27 とにかく、彼女が理解しなきゃいけないことは、それは決して起こらなかった、ってことだ。それは幻覚だ。でも君は「そんな事より、自分のほうがよっぽど重大な過失を犯したことがある」と思うかも知れない。違う、それは重大なんかじゃない。そのことはあのことに比べてよりリアルだという事はない。それらは全て等しく真実ではない。誰かを傷つけたとか、あるいは物理的に傷つけたとしてもだ。でもそれは実際には起こっていない。幻覚だ。

 

全てが幻想なら何をしても良いのか?
40 ゲイリー:先週あった質問がちょっと大事だと思うので答えよう。それは「この世界がすべて幻想であり、何一つ真実でないなら、私たちは好き勝手してもいいのでは?」というやつだ。41 例えば好きなだけセックスしたり、狂ったように人を殺しまくったり、どのみちすべて幻想なら何をしても構わないでしょう、と。
それは実際にはこういうことだ。君が本当にコースを実践して、赦しのステップをやってるなら、それらは自動的に君を愛へと導く。さっきも言ったように、君の真の姿は愛なのだから。君が赦しを実践するなら、自我を訂正することになり、君はもっともっと愛に近づく。つまり君は誰にも危害を加えるような事はしなくなる。人生を愛の象徴として生きるようになるから。だから(赦しを実践していれば)君は惑星を破壊したりするような事はしない。42 コースは自我を訂正するためのもので、君を自動的に愛へと導く。それは自然に起こることで、無理やり(愛になろうと)頑張る必要はない。

 

トマスとJの愛、ローマ帝国時代
1:22 ゲイリー:なんで僕がJの誕生月を覚えているかと言うと、2000年前、Jとトマスは同い年だったから。しかも見た目もそっくりだった。時には冗談を言ってイタズラをしたりもした。たとえばJと僕が入れ替わったフリして遊んだりしたんだ。けど、さすがに僕はJの基準は満たせなかった(笑)。Jと同じになるのは大変なことだ。
Jの顔は愛にあふれていて、時に直視できずに顔をそむける人がいたほどだ。圧倒的な愛だった。Jをみた人がどう反応するかを観察するのは面白かった。Jを嫌っている人でさえ、Jには手出しができず、Jに影響を及ぼすことはできなかった。1:23 コースでJが言ってることは文字通りのことなんだ。たとえば「赦し」について、「それは、神に属さない何かがあなたに影響をおよぼす力があるということを、否定する(T-2.II.1.11)」と言ってる。Jは何にも影響されることはなかった。人々が何をしようと、何を言われようと、彼らがJを侮辱しようと。
当時のローマ帝国時代、ユダヤ人はみんなローマ人が嫌いだった。それだけが唯一、全てのユダヤ人が同意できることだった。たとえ僕らが言い争っていても、そこだけは意見の一致をみた。それが僕らのローマ人に対する憎悪だったんだ。それは当時の赦しのレッスンだったのだが、僕らは赦しのレッスンに気づかなかった。1:24 教師のマニュアルには、常に完璧なレッスンが目の前にあるという。だがその事はほとんど気づかれることがない。(それはいまの時代も変わらない)

 

★Q2「私は先週、手術で腫瘍を摘出しました。現時点では癌かどうかは分かりません。その検査結果が出るまで冷静でいるのはなかなか大変です。心がさまよい、周囲の人々にも苛立ってしまいます。この不確実で難しい時期を過ごすためのアドバイスをください」

1:36 ゲイリー:僕らはみんな同じクラブのメンバーだ。僕らはみんな自分を肉体だと思ってる、いまでも。(中には自分が肉体ではないという考えに馴染んできてる人もいるかもしれないけど)。いずれにしても、歳を取るということはプロセスの一部だ。1:37 あと2ヶ月で僕は70歳になる。身体が以前ほど動かなくなってくるのは、このゲームの一部なんだ。たとえ君が自分自身を超健康に保っていたとしてもね!身体が少しずつ故障しはじめるのは、単に時間の問題だ。
これは素晴らしい赦しの機会といえる。それは易しいか?NOだ。君はときに怒りを抱いたりするか?YESだ。どうか、そうしたことを否定しないで欲しい。僕らが肉体にいると感じているうちは、否定しないこと。Jはそれを「否定の中でもとりわけ無価値な形の否定(T-2.IV.3.11)」と言っている。なぜならそれは自分の体験について嘘をついてることになるからだ。1:38 君は動揺している事について正直でならなければならない。動揺するのはごく自然なことだ。いちどに全部を赦そうと試みるのではなく、その都度少しずつ赦すようにしよう。心の中に聖霊を探し、自分にこう言おう:「オーケー、私は悩んでいる。(摘出した腫瘍の)検査結果がどうなるか分からないから。」
僕もそういう状況にいたことがある。幸い、結果は悪くはなかった。だがいつも良いニュースとは限らない。だから、先回りして赦すんだ。自分に「そうだ、僕はどんな検査結果がこようと平安でいる事ができるんだ」と言う。これが「言うは易し行うは難し」だというのは知ってる。あんたがそう言うのは簡単でしょうよ、と思われるかもしれない。だが、僕も君と同じ状況だったことがあるんだ。
君の周囲の人が心配していることについては、君が彼らを作り上げたということを思い出すことだ。君が関わる医者や、まわりの親族など。1:39 これは誘惑を超えて見る機会なんだ。コースによれば、これは誘惑の典型例だ。彼らはよってたかって神の子である君が肉体だと説得しようとする。これはまさに自我がしようとしていることだ。君は肉体で、周囲の人々も肉体なんだと。だからいま君の目の前にある挑戦とは、このことを聖霊と共に見ることだ。自我ではなく。
わかってる、それは難しいことだ。だけど、君にはできる。聖霊はできもしない事を要求したりはしない。だから、以前にも増して(赦しを)頑張ってほしい。検査結果がどうなったか教えて。もし良いニュースなら祝おう。悪いニュースなら、赦そう。それに、もしかしたら自分で思っていたよりうまく(病を)やり過ごせるかもしれない。聖霊と共にいれば(病気でも)楽観的でいられる。

 

★Q4「人が刺激物(カフェイン、砂糖、薬物など)に反応すると、通常よりもっと苛立って怒りっぽくなります。怒りというのは単なる化学反応ですか?それとも無意識の怒りが表出してるのですか?」

1:43 ゲイリー:それは無意識の罪悪感による怒りだ。カフェインや砂糖や薬物といった刺激物が「すでに無意識の心にある怒り」の引き金になっている。だが、その怒りは元からそこにあり、隠されていただけだ。そして何かのトリガーで表出する。アルコールなんかは、人々の怒りを引き出す良い例だろう。薬物なんかもね。刺激物はなんでも構わないのだが、それがきっかけで罪悪感が怒りという形で現れる。だが、その罪悪感というのは、もとからそこにあったものだ。つまり、(外的な刺激によって)より怒りっぽくなったわけではない。だがそれを赦せば、より多くの力が君に戻ってくる。

1:44 シンディ:それを知っていることは大事。コースは象徴(symbol)と源(source)を混同してはならないと言ってる。象徴というのは薬物だったり砂糖だったりするけど、それらが私たちの怒りの源なのではない。私たちの外にある象徴が原因ではない。私たちはどんな怒りであっても、常に「源」に帰らなければならない。不満はもとからそこにあったもの。薬物や刺激物といったものはそれを表出させるだけ。同時にそれは、赦される必要のあるものを教えてくれる機会でもある。それらが癒やされるために。1:45 そのように見れば、あらゆるものを癒しの機会として見ることができる。

 

★Q5「Jが復活して弟子たちの前に姿を現したとき、Jは何を教えたのですか?」

1:45 ゲイリー:Jが復活のときに僕らに教えようとしたことのひとつは、「ひとつの肉体をつくることが出来るなら、同じくらい簡単に別の肉体を作ることもできる」ということだった。1:46 もちろん僕らは(死から蘇ったJを見て)完全にビビってたので、意味が分からなくて「何!?」ってなった。僕らは(肉体というのは)他の人々と同じように、ごくノーマルに、赤ちゃんとして生まれてくるものだと思ってたから。だが、心がそのすべてを作り上げているとはまだ気がついてなかった。だから当時の僕らにとっては(Jの復活は)非常に混乱する出来事だったんだ。
でもそれは2000年前の出来事だったことを覚えていてほしい。というか、これは現代の人間にとってさえ混乱する話だろう。いくら科学が発達して量子物理学を扱うような時代になったとしても、これは未だに人々をビビらせる話だ。この世界の全てが起こっていなくて、あらゆるものは心からくる投影による幻想だ、ということを初めて理解するということは。
1:47 Jは当時の僕らがまだ(このことを)理解できないということを知ってたので、後にコースの「十字架刑のメッセージ(T-6.I)」で(同じことを)教えている。あと、ケン・ワプニックの「天国から離れて(※)」の中にも、Jがそれを教えようとしたが弟子たちが理解しなかったという記述がある。だが、そのことで当時の弟子たちを責めることはできないだろう。※p459-461 14章「物理的な復活は存在したのだろうか?」を参照。

1:47 (Jの復活の時)それ以外に話してくれたことでは、彼は愛を教えた。「十字架刑のメッセージ」で「愛だけを教えなさい。それがあなたの本性だからである(T-6.I.13)」とあるように。それがJの十字架刑のメッセージなんだ。Jが十字架刑のあと僕らの前に現れたとき、彼は完全に純粋なる愛だった。彼の幻想の肉体から光が溢れているようだった。
Jは(復活した時)別に6時間フルタイムの講義をしてくれたわけじゃないさ。彼が話したのは15分ほどだったが、それは僕らに深い印象を残した。1:48 何しろ、あの頃は全ての弟子たちが十字架刑のことでパニクってたから。そして僕らは(Jが処刑されたことで)完全にヤル気をなくしていた。僕らはどうやってこの地から逃亡するか計画していたくらいだ。
だがJが復活して現れたとき、そのことが僕らの考えを完全にひっくり返した。「どうやって逃亡しようか」だったのが、「どうやって世界に出ていって、この事を伝えるべきか」に変わった。当時の僕らが伝道した福音というのは愛と赦しについてだった。それ以外の神学論はすべて後世のあとづけだ。
これが、「十字架刑のあとで、なぜ使徒たちが世界に出てこの話を伝道したか?」という疑問についての最も筋の通った説明でもある。1:49 なぜなら当時、そんなことをしたら殺される危険が十分にあったからだ。

 

ゲイリー講座 (55) 何をする必要もない

【第55回】
The Lessons of the Holy Spirit, from ACIM Ch. 6, Section V
https://www.crowdcast.io/e/lessons-of-the-holy-spirit/1
2020/12/10(PDT)→JST 12/11 10-12時

 

何もしない≠何をする必要もない
32 ゲイリー:コースが「私は何をする必要もない(I need do nothing)」(T-18.VII)というとき忘れちゃいけないのは、何もするな、という意味ではなく、何もする「必要がない」ということ。「必要性(need)」というのが大事なところ。
「私は何をする必要もない」と書かれた箇所に続いて「何かをするには肉体が必要である(To do anything involves the body)」(T-18.VII.7)とある。ここまで読まないと全体が見えてこない。君が何をする必要もない理由は、君が肉体ではないからだ。そこに教えがある。
「コースは何もするなって言うから何もしません」っていう学習者がいるけど、それは要点を見失っている。ここでのレッスンは、何もしないってところではなく、君が肉体ではないってところだ。33 以前、シンディと一緒にカップルのための瞑想CDを作ったけど、学習者から反論メールが来た。「ゲイリー、何もしてはいけないって書いてあるでしょ!」と。(ええ、まあ、そうだね、じゃあ僕は死ねってことかい?笑)
コースが言ってるのは、何もするな、じゃなくて、何もする必要がないってことだ。それだけさ。

 

Jがほとんどの人に嫌われていた理由
1:04 ゲイリー:2000年前、全員がJを好きだったわけではない。Jには確かに信奉者がいたし、僕らのような弟子もいたし、マグダラのマリアや彼の家族もJを愛していたけれども、2000年前のほとんどの人々はJを嫌っていたんだ。なぜ人々がJを嫌っていたかはコースに説明がある。

「認識すべきことは、あなたが何らかの思考体系を共有しないときにはそれを弱めている、という点である。したがって、その思考体系を信じている者たちは、そのことを彼らに対する攻撃と知覚する。この理由は、誰もが自分自身を自分の思考体系と同一視するものであり、どの思考体系も、人が自分を何であると信じているかを基軸としてるからである。(T-6.V.B.1)」

1:05 つまり2000年前の人々はJの教えとは全く違うことを信じていた。彼らは旧約聖書を信じていたし、トーラ(ユダヤ律法)を信じていたし、十戒を信じていたし、その他の古い言い伝えなども信じていた。だがJはその多くを無視し、もっとシンプルな、愛と赦しだけを教えた。何があろうとも。それは多くの人々にとって恐ろしいことだったんだ。だから彼らはJを嫌った。ケン・ワプニックでさえ、あるとき「世界はイエスを嫌っていた」と言っていた。
1:06 全世界とは言わないけど、当時のほとんどの人々は、Jに興味はなかった。だがJの信奉者はJがどんな様子だったかを目撃した。彼らはJが示した手本を見た。彼が本当に愛であったという手本を。彼は愛について話しただけじゃない、本当に愛だったんだ。Jは愛と赦しの地点からきていた。彼ら(信奉者たち)はJがもはや人間ではなく、霊であるという事さえ感じ取ることができた。ちなみに、これは君についても同じことが言える。君は人間ではない。

 

本当の誕生日は12/25ではない
1:38 ゲイリー:ここでちょっとコメントからの質問を。「ゲイリー、Jの本当の誕生日を知ってますか?」っていうやつ。そう、それは12/25ではなかった。10月の初旬だ。12/25では寒すぎる、というかそんなの関係ない。なぜなら彼は飼い葉桶にいたわけではないから。彼は伝承されているようにベツレヘムで生まれたわけではない。Jはナザレで生まれた。だからナザレのイエスと呼ばれたんだ。彼が生まれたのは10月の秋のはじめだった。1:39 興味深いのは、現在の教会が祝っている、いわゆるイエスの誕生の始まり(beginning of the birth of Jesus)というやつだが、それによると彼が生まれたのは9月とされてる。だが実際には10月だ。12/25ではない。

※9月誕生説:https://www.gotquestions.org/was-Jesus-born-in-September.html

 

★Q4「私は64歳で、ACIMに出会ったばかりです。もっと早くにコースと出逢いたかったと思うけど、全く出逢えずにいるよりは良いですね。自分の年齢のため、ACIMの学習に費やせる年数は短いと感じています。何かアドバイスはありますか?」

1:45 ゲイリー:救済に偶然はない。あなたがコースを始めたのはまさにその時がきたからだ。そしてあなたにはまだ多くの時間がある。多くの人が90代まで生きるからね。そして多くの場合、コースはビギナーのためのものではない。何らかのバックグラウンド -- 赦すべき「何か」が必要だ(笑)。 だから、若い人やティーンエイジャーがコースに入ることは稀だといえる。多くの人はもっと歳をとってからコースに出会う。ケン・ワプニックによると、「十分な時間をかけて(赦しの)教室をセットアップしてから、残りの人生をそれを赦すことに費やす」って言い方をしてた。それが典型的なパターンだ。だからあなたが何歳かは関係ない。それに、いまコースを学んだほうが、若い時に学ぶより良い人生に繋がることだってある。1:46 いまを大切にすること。もっとも大事なのはコースを実践することだ。人生のどんな出来事に対しても。
64歳なら多くの思い出があるだろう。中には嬉しくない思い出もあるはずだ。そういうものに適用していくんだ。

 

ゲイリー講座 (54) 愛ある想念のみ思い出す

【第54回】
It can be but myself I crucify.  From ACIM Workbook Lesson 196
https://www.crowdcast.io/e/it-can-be-but-myself/2
2020/11/24(PDT)→JST 11/25 10-12時

 

それ以外になにもない
33 ゲイリー:2000年前Jとマリアが「神と神の国を守るためだけに警戒する」というとき、神の王国が存在するというだけでなく、他には何も存在しないということを知っていた。多くの学習者が「全てはワンネス」って言うけど、みんなが忘れがちなのは、「それ以外になにもない」ってこと。34 じつはコースは冒頭からそう言ってるのだが、僕はそのことに気づくのに数年かかった。

 

誰かを非難したくなったとき
46 シンディ: 実用的に言うなら、誰かを裁いたり非難したくなったとき、自分が見ているのはイメージだと思い出し、そのイメージが神の真実を置き換えないようにすること。自分が(非難したくなるのに)気づいたら、「このイメージは真実ではない、私が作ったものだ」と自分に言い聞かせる。私シンディがこれを作った、という意味ではない。ここでいう私とは、もっと大きな私、決断の主体のこと。

1:03 もし誰かが非常に腹立たしいことをしてたとしても、頭おかしい行動を取っているように見えたとしても、私たちは彼らの行為を見過ごして「私は、神の子としてのその人を愛する。彼らは本当は人なのではなくて、1:04 神が創造した者だからこそ彼らを愛する。彼らは私と同じで、私たちはひとつだから。その相手は私から分離してはいない。私が自分自身を愛するには、その人を愛する必要がある。すべてを同じと見る必要がある。」それがコースの説く愛。その愛は神の子を分離させない。その愛は平等であり無条件。私たちの怒りボタンを押す人々を赦すとき、それは自分に対して愛ある親切なことをしていることになる。そして後の事は聖霊がケアしてくれる。私たちには見えない無意識の心を癒してくれる。

 

愛ある想念のみを思い出す
1:08 ゲイリー:誰かが君にムカつくことを言ったとする。君はそれに影響を受けることを放棄することもできる。誰かの過去の記憶について、悪い記憶ではなく良い記憶を思い出すこともできる。君に良いことを言ってくれた時とかね。コースはそれを選択的想起(Selective Remembering)(T-17.III.1:1-3)と言ってる。悪いことを思い出すのではなく良いことを思い出すんだ。1:09 自分が過去に誰かに不親切にしたことを悔やんでいるなら、君がその人に親切にした事を思い出すんだ。そこで君がしているのはLoving thoughtsに切り替えるということ(Ego thoughtsの代わりに)。
そんなのは単純化しすぎだと思われるかも知れないが、僕は愚直にこれをやってみた。僕には嫌な想い出がいっぱいあったからね。誰かに何か言われた記憶について攻撃の考えをやめてみた。そして彼らが親切にしてくれた事や、僕が彼らに良いことを言った時のことを思い出すようにした。1:10 しばらくすると信じられないことに、実際に僕の記憶が変わってきた。僕が以前思い出していたようなクソな記憶ではなく、別の記憶を思い出すようになってきた。その新しい記憶は、以前と同じくらいリアルなものだった。コースがやるのはそういうことだ -- 実際に君の考えを変えてしまう。それは自己増殖するような感じで、自分についての考えや、世界についての考えを変えていく。

 

★Q3「ゲイリーが啓示を体験する前にしていたことは何ですか?啓示を喚起するために呼吸法による瞑想をしたりするのですか、それとも予期しないときに啓示が訪れるのですか?」

1:27 ゲイリー:僕は呼吸法の瞑想をやってないし、それによって啓示を喚起しようとはしていない。なぜなら啓示は自分で引き起こすことはできないから。啓示は聖霊(またはJ)の決定によってもたらされる。1:28 Jは「私は聖霊の近くに居て、兄弟たちが啓示を受ける準備ができた状態に敏感なので、啓示は間接的に私によって喚起される(T-1.II.5)」といってる。だから決めるのは聖霊だ。君を励ますためにそういう体験をさせることもある。しかし自分でその体験を起こす(決定する)ことはできない。だがそれは神の直接的な体験ではある。そしてそれは予期することのできないものだ。それはただ起こる。僕が何かをしたからではなく。一度なんかは僕がTVを見てる最中に起こった。だから誰にも分からないのさ。

 

★Q9「Jは新約聖書で貧しい人々を気にかけていたといいます。Jは社会正義のために戦い、みんなが貧しい人々を助けるよう奨励したのですか?」

1:52 ゲイリー:Jは社会正義のために戦ったわけじゃない。彼が貧しい人を見る時、相手が人間ではないと知っていた。だからJが文字通り貧乏人の心配をしていたわけではない。新約聖書がそういう書き方をしただけだ。1:53 コースのほうがそのことについてよりよく説明している。
2000年前、裕福な男がJのところにきて、その時僕らもそこにいたのだが、その男は「あなたについていきたいのです」とJに言った。Jは「持ち物をすべて売り払って貧しい人に与えなさい。そして私についてきなさい」と言った。男はJのことを狂っていると思ったのか、逃げ帰ったよ(笑)。 Jが「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったのはこの時だ。それは、その男を低めるために言ったのではなく、彼がこの世のものに信を置いて世界を諦められないことについて言ったんだ。
1:54 コースには「貧しき者(the poor)」とは「誤ったところに思いを投入してきた者たち(those who invested wrongly)」 だと書いてある(T-12.III.1)。つまり、この世のものに信を置いて、岩の上ではなく、砂の上に家を築いている人々のことだ。1:55 Jは社会正義とかより、もっと大きな事を言ってたんだ。

 

ゲイリー達講座 (53) ラム・ダス本の挿絵

【第53回】
It can be but myself I crucify.  From ACIM Workbook Lesson 196
https://www.crowdcast.io/e/it-can-be-but-myself/1
2020/11/12(PDT)→JST 11/13 10-12時

 

攻撃の想念を実在させること
23ゲイリー: Jは2000年前「自分にするのと同じように他の人にもしなさい」と言った。これは、君が他者にしたことは、すでに自分にも成されているという意味だ。他の人になされているように見えるのは投影だからだ。24 自我は見た目で君を投影に引きずり込む。だが君の無意識の心は外に誰もいないと知っている。「なんて馬鹿だ(What a jerk)」という一言でさえ攻撃の想念だ。そしてそれは君に戻る。25 自我の思考体系はそんな風にして自分自身を十字架にかける。君がその投影に見ているのは、自分自身の罪悪感が外にあるように見ているだけだ。学習者がこの話を聞きたくないのは知ってる。26 君がそれを裁くたびにそれを実在させている。それは罪じゃないけど、君をここに繋ぎ止めてしまう。その攻撃が君自身に行くと知ってさえいれば。27 裁きの誘惑は君自身に向かう、だがそんなことをする必要はない。他者が意地悪なことを言う時、それは君が自由になるチャンスだ。単にそれを赦すだけでいい。29 君が他者を攻撃したら自分が攻撃されるのと同じ。30 君が裁くのは常に君自身だ。

 

ラム・ダス本の興味深い挿絵
31 ゲイリー: ラム・ダスの「Be here now」という本で面白い挿絵がある。Jは十字架に磔にされた状態で、誰かがその手に釘を打ち込んでいるイラストだ。Jはその様子を見ながら「それは興味深いね」とでもいうような表情をしている。何の痛みも感じていない。ヒンドゥの人々はそのことを理解していた。罪悪感が全て癒やされたら肉体的な痛みを感じなくなると。君が赦すたびに罪悪感は癒やされ、いつか苦しまなくなる。32 癌で死のうとも構わない、苦しまないのだから。

 

★過去Q「サイキック・リーディングは聖霊から来ているかどうか?」

58 ゲイリー:サイキックは意識的に聖霊とやりとりしてるわけではないが、可能だ。僕は20代のころ聖霊なんか信じてなかったが、その時も聖霊は僕を導いていた。だがそれは聖霊と自我のまざった状態だ。だから見分けることが大切になってくる。
59 数年前にすごく有名なSylvia Browneというサイキックがいた。子どもが行方不明になったしまった親のリーディングをする番組だ。(子供が行方不明なのだから)これは深刻な事件だ。両親は子どもは大丈夫でしょうか?と聞いた。彼女は子どもは既に死んでいると伝えた!
もし本当に子どもが死んでいたとしても僕は言わなかっただろう。だが彼女は自分の正しさを確信していた。そして六ヶ月後、その子どもたちは生きたまま発見された。彼女は間違っていただけでなく、両親をひどく不必要な悲しみに追いやった。聖霊と共に働いていないときに起こることはそういうことだ。
もちろんサイキックが正しい答えを得ることはあるだろうし、だからこそ彼女は有名になった。だがその一部は自我からきていた。1:00 だから聖霊と共に働くことは大事なんだ。そうすればメッセージの品質はもっとよくなる。

 

★Q8「そこには自分しかいない、という考えは100%自己責任ということであり、一生分の投影を思うと(その自己責任論は)重すぎる気がします。」

1:50 ゲイリー:たしかに君は100%責任がある。だが君が投影しているものは無だ。だから君は世界に対する責任はない。それは君が無罪だというもうひとつの証拠だ。1:51 それをリアルにしてはいけない。そこにあるもの、一生分の投影(Lifetime of projection)は無なんだ。そこに真実はない。たしかに僕らは投影に責任があるが、それを赦してリアルにしないこともできる。

1:53 ゲイリー:君はコメントで「僕は誰でもなく、どこにも行けない(I'm nobody, going nowhere)」と書いたけど、それは自我を選んだときだけ真実になる。自我はnobody going nowhereだから。1:54 だが君はそれを実相(reality)と入れ替える必要があることを覚えておいてほしい。君の真の自己は「真に存在するもの(really something)」だ。それは神と同じ完璧な霊だ。そういう意味で君はたしかに存在する、だが君が思ってるような形(分離した自己としての自分)ではないということだ。君は一なる神の子として存在する。

1:55 ゲイリー:自我はemptyでmeaninglessだがそれと同一化する必要はない。本当の君はこの世界の何ものも超越する存在だから。

 

ゲイリー講座 (52) 救済、悟り、輪廻転生

【第52回】
The Justification for Forgiveness, from ACIM, Ch. 30, Section VI
https://www.crowdcast.io/e/justification-for-forgiveness/2
2020/10/29(PDT)→JST 10/30 9-11時

 

救済、悟り、輪廻転生などの用語について
29 ゲイリー:Jがブッダといた時代、救済(Salvation)という言葉が一般的で、悟り(Enlightenment)という言葉は後からきた。ブッダが「私は目覚めている」と言った時、夢から覚めたということだ。30 神の子全体の目覚めはmillion yearsかかるとJも言っている。ポイントは、そんな時間をかける必要はないということ。31 僕は来世でパーサとして生きるかどうか気にしてない。32 僕は輪廻転生(reincarnation)という言葉は使わない。人生(lifetime)と呼んでいる。なぜならreincarnation(=肉体に再び宿ること)は不可能だからだ。それは分離によるOptical delusionだ。

 

Jが人を癒したとき+対象をリアルにしない
53 ゲイリー:どんな誤りも、誤りと認められれば訂正される。だが誤りに真実の地位が与えられたら(それをリアルにしたら)、そのことについて誰も何もできない。54 Jが人を癒やしたとき、相手の病気が何であるかは気にしなかった。Jが本当に気にしていたのは、相手の真の姿だ。恐れはjudgmentだと思ってないかも知れないが、それはjudgmentだ。55 どんな動揺であっても、君がそれをリアルにしたせいで起こる。自我が起きたと同時に、君が台本に同意した形になる。

 

赦しを実践すれば、自然と愛あることをするようになる
1:03 ゲイリー:僕は自分がいいヤツと思えない時期があった、今は自分がいいヤツかどうか関係ないと思ってる。1:04 コースの通りに生きれば自然に愛あることをするようになる。君はだんだん自然の本来の自分になる。Jのように行動しようと奮闘する必要はない。1:05 「真実を思い出す」ことだ。思い出した瞬間にすべてが変化する。良い気分になる。1:06 他の人に対しても心のレベルで本当の自己を教えることになる。

 

★過去Q「自分自身を赦すことは、他者を赦すことより難しく感じます。なぜですか?」

1:20 シンディ:多くの人が同じことを言ってきた。他者を赦すほうが簡単だと。だが、どれも等しく「自分自身を赦すこと(self-forgiveness)」であると見ていくべき。1:21 私たちは"罪悪(sin)"をリアルにしているだけ。聖霊は、私たちが心がさまよい出すのを観るように言ってる。あなたが感じるあらゆる感情はリアルではない。その感情を持つことは罪ではない。1:22 それは幻想の想念。聖霊に訂正の助けを求めることができる。私たちが愛を押し出したのでなければ恐れを感じるはずがないので。

 

★過去Q「ゲイリー達はこれを最後の人生にするんですよね?」

1:32 ゲイリー:今生が最後になるかどうかは可能性にすぎず、僕らには分からない。それは可能だ。だが保証されたものではない。

1:34 ゲイリー:それは「台本はすでに書かれている」と矛盾するかに思えるかも知れないが、矛盾はしない。悟りというのは、台本を書き換えることではないからだ。それは、台本から去ることだ。だから、台本のあちこちを修復して僕はここで目覚めるとか、あそこで目覚めるとか、そういう話ではない。真実は、君はいつであっても目覚めることができる。その時はすでに設定されているのだが、それが時間のパラドックスだ。L169のように。既に終わった旅なんだが、それでも君はやらなきゃならない。それから逃れることはできない、自由意志で遅らせることはできるけど。1:35 でも君の唯一の力はまさにその決断の力にある。聖霊とともに去る決断をすれば時間を節約できる。

 

★過去Q「アカシック・レコード・リーディングは過去生の赦しをやるのに役に立ちますか?」

1:45 ゲイリー:僕はアカシックを読まないのであまりコメントできないけど。でもA&Pは"大事なのは今回の人生だ、あたりまえだろ(It's this lifetime, stupid)"と言ってる。1:46 過去生の記憶が今生の課題と繋がってることもあるだろう。他生と同じ課題がいま現れているとかね。外見は違うが、内容は同じだ。だから今生の分離を赦す必要がある。もし過去生でなにか赦すことがあれば、いま赦すことができる。1:47 過去生知識が役に立つのは生命がずっと続くと理解することだ。様々な生で同じ課題が現れるが、ただ赦すだけだ。

1:48 シンディ:最も重要な赦しは、今生でいま目の前にあるもの。それを赦せば、他の全ての生における課題も訂正される。すべては同時に起こっているので、過去や未来といったものはない。

 

ゲイリー講座 (51) どうしても赦せないとき

【第51回】
The Justification for Forgiveness, from ACIM, Ch. 30, Section VI
 
フランス語のトリビア
27 ゲイリー:ここでpardonというのは一般の意味とは違うふうに使われている。だけど恩赦みたいのは赦しではない。28 ちなみにフランス語にはforgivenessという言葉がないので赦しのことをpardonと呼ぶそうだ。
 
機嫌の悪いパートナーの赦し
44 シンディ:帰ってきたパートナーの機嫌が悪いとき、それを実在させ個人的に受け取るか、赦して自由になるという選択肢がある。45 その投影はエネルギーを失い、向こうに戻るほかない。苦しむ理由はないと伝えることになる。そうやって彼らも選び直すことができるようになる。46 これは平安を保つのにすごく大事。彼らの投影をリアルにせず、受け入れないということ。47 攻撃と報復はサイクルとして延々と続く。誰も何も、あなたの許可なしにはあなたに影響を及ぼすことはできない。彼らにはそのような力はない。私がその力を与えないかぎりは。
 
どうしても赦せないとき
51 シンディ:赦しへの抵抗が強すぎるとき、52 赦したいとさえ思わないかも知れない。そんな時は、ただ受け入れてそれの観察者になるといい。それは心の選択だと自分に教えることになる。少なくともこの感覚は好きでないと思うことはできる。53 それは選択。被害者になるという選択をしていると知る。一歩一歩すすめばいい。裁かないで見るというのは非常に大事。54 準備が出来た時に先に進めばいい。自我を選択することは罪ではない。罪は不可能だから。それはニュートラルなこと。深刻にならない。55 「また自我を選んでいるわ」という軽い感じ。それでOK、ただ観察者になる。ただ自我のつくったものを見て、それを裁かない。
 

★Q1「私は真の赦しを続けてきて、恋愛パートナーが欲しいとか性欲とかがだんだんなくなってきたことに気づきました。赦しの実践と神との深い関係に満たされ、時々、この世界にいるのが変な感じがします。でも同時に、心の奥底で、私の霊的な旅をシェアできる進んだ人がいたらい面白いだろうなと思います。ご意見おまちしてます」

1:10 ゲイリー:誰かとシェアするのは楽しいが必須ではない。僕は実際関係を持っているし楽しいから否定はしない。1:11 人生もコースもより興味深くなるだろう。だが必須ではない。彼らがコースをやっているかどうかは問題ではない。君がやっていることが大事だ。コースを一緒にやってるカップルがいるが、問題は彼らが赦しを実践していないことだ。

1:15 ゲイリー:台本は書かれている。誰かと会うことになってるなら会う。どうやったらソウルメイトに会える?と聞いてくる人がいるが、ソウルメイトでなければ会うわけがない。まだ正しい人に会ってないからといって、これから会うとは限らない。

1:16 シンディ:伴侶をもたない人生だってある。それは彼らの選んだ台本どおりであり、カリキュラム。より高い理由があるはず。パートナーがいないからって何かが間違っているわけではない。

 

 ★Q6「私はぴったりの歯医者さんを探すので何度も失敗し、いっぱい赦してきました。完璧なドクターを見つけられるよう聖霊に導きを求めるのに役立つプロセスをシェアして貰えませんか?」

1:37 ゲイリー:実際は簡単だ。心を静めて空っぽにし(騒がしいのは自我)、聖霊とつながり、直接聖霊に質問する。聖霊は君の心を知っている。一度それをやったら、答えのことを忘れて放置しよう。答えは数日後にやってくるかも知れないから。

1:38 シンディ:ゲイリーが言うように、聖霊に聞いたあとlet it go するのは重要。シンクロニシティが正しい人を連れてくる。こないだ頭を打った時、聖霊に聞いた。シンクロニシティでPCに導かれ検索し、探している人を見つけ、アポをとった。1:40 それがこの世レベルで現れること。信頼すること。期待を外すこと。

1:40 ゲイリー:どうやって心を静めるか?まずそれらの想念に「止まれ」と命令する。自我に黙れということだ。練習は必要だ。1:41 だんだん慣れてくる。僕は心を静めて何の影響も受けないところまでいけるようになった。そのことは助けになった。1:42 そのことは心を休めてくれる。神に戻ることはできないが休ませることはできる。