ゲイリー・レナード語録

ゲイリー講座のゆるゆるメモ

ゲイリー達講座 (53) ラム・ダス本の挿絵

【第53回】
It can be but myself I crucify.  From ACIM Workbook Lesson 196
https://www.crowdcast.io/e/it-can-be-but-myself/1
2020/11/12(PDT)→JST 11/13 10-12時

 

攻撃の想念を実在させること
23ゲイリー: Jは2000年前「自分にするのと同じように他の人にもしなさい」と言った。これは、君が他者にしたことは、すでに自分にも成されているという意味だ。他の人になされているように見えるのは投影だからだ。24 自我は見た目で君を投影に引きずり込む。だが君の無意識の心は外に誰もいないと知っている。「なんて馬鹿だ(What a jerk)」という一言でさえ攻撃の想念だ。そしてそれは君に戻る。25 自我の思考体系はそんな風にして自分自身を十字架にかける。君がその投影に見ているのは、自分自身の罪悪感が外にあるように見ているだけだ。学習者がこの話を聞きたくないのは知ってる。26 君がそれを裁くたびにそれを実在させている。それは罪じゃないけど、君をここに繋ぎ止めてしまう。その攻撃が君自身に行くと知ってさえいれば。27 裁きの誘惑は君自身に向かう、だがそんなことをする必要はない。他者が意地悪なことを言う時、それは君が自由になるチャンスだ。単にそれを赦すだけでいい。29 君が他者を攻撃したら自分が攻撃されるのと同じ。30 君が裁くのは常に君自身だ。

 

ラム・ダス本の興味深い挿絵
31 ゲイリー: ラム・ダスの「Be here now」という本で面白い挿絵がある。Jは十字架に磔にされた状態で、誰かがその手に釘を打ち込んでいるイラストだ。Jはその様子を見ながら「それは興味深いね」とでもいうような表情をしている。何の痛みも感じていない。ヒンドゥの人々はそのことを理解していた。罪悪感が全て癒やされたら肉体的な痛みを感じなくなると。君が赦すたびに罪悪感は癒やされ、いつか苦しまなくなる。32 癌で死のうとも構わない、苦しまないのだから。

 

★過去Q「サイキック・リーディングは聖霊から来ているかどうか?」

58 ゲイリー:サイキックは意識的に聖霊とやりとりしてるわけではないが、可能だ。僕は20代のころ聖霊なんか信じてなかったが、その時も聖霊は僕を導いていた。だがそれは聖霊と自我のまざった状態だ。だから見分けることが大切になってくる。
59 数年前にすごく有名なSylvia Browneというサイキックがいた。子どもが行方不明になったしまった親のリーディングをする番組だ。(子供が行方不明なのだから)これは深刻な事件だ。両親は子どもは大丈夫でしょうか?と聞いた。彼女は子どもは既に死んでいると伝えた!
もし本当に子どもが死んでいたとしても僕は言わなかっただろう。だが彼女は自分の正しさを確信していた。そして六ヶ月後、その子どもたちは生きたまま発見された。彼女は間違っていただけでなく、両親をひどく不必要な悲しみに追いやった。聖霊と共に働いていないときに起こることはそういうことだ。
もちろんサイキックが正しい答えを得ることはあるだろうし、だからこそ彼女は有名になった。だがその一部は自我からきていた。1:00 だから聖霊と共に働くことは大事なんだ。そうすればメッセージの品質はもっとよくなる。

 

★Q8「そこには自分しかいない、という考えは100%自己責任ということであり、一生分の投影を思うと(その自己責任論は)重すぎる気がします。」

1:50 ゲイリー:たしかに君は100%責任がある。だが君が投影しているものは無だ。だから君は世界に対する責任はない。それは君が無罪だというもうひとつの証拠だ。1:51 それをリアルにしてはいけない。そこにあるもの、一生分の投影(Lifetime of projection)は無なんだ。そこに真実はない。たしかに僕らは投影に責任があるが、それを赦してリアルにしないこともできる。

1:53 ゲイリー:君はコメントで「僕は誰でもなく、どこにも行けない(I'm nobody, going nowhere)」と書いたけど、それは自我を選んだときだけ真実になる。自我はnobody going nowhereだから。1:54 だが君はそれを実相(reality)と入れ替える必要があることを覚えておいてほしい。君の真の自己は「真に存在するもの(really something)」だ。それは神と同じ完璧な霊だ。そういう意味で君はたしかに存在する、だが君が思ってるような形(分離した自己としての自分)ではないということだ。君は一なる神の子として存在する。

1:55 ゲイリー:自我はemptyでmeaninglessだがそれと同一化する必要はない。本当の君はこの世界の何ものも超越する存在だから。