ゲイリー・レナード語録

ゲイリー講座のゆるゆるメモ

ゲイリー講座 (56) 復活のとき教えたこと

【第56回】
The Lessons of the Holy Spirit, from ACIM Ch. 6, Section V
https://www.crowdcast.io/e/lessons-of-the-holy-spirit/2
2020/12/29(PDT)→JST 12/30 10-12時

 

密かに恥じていること
26 ゲイリー:僕らが犯した罪だと思っているものは幻覚(hallucination)だ。自分が過去にしてきたと思ってる悪いこと、誰かに言ったひどい言葉、君が密かに恥じていること、世界でこんな事をしてるのは自分ひとりだろうと思うようなこと(これら全てが幻覚だということ)。ただ、実際にやってるのは君ひとりじゃないけどね。
一度オランダでワークショップをやった時だと思うけど、ある女性が自分について非常に恥じていた。しかし彼女は、かつて自分がやった「酷い行為」についてブレイクスルーがあったという。そして彼女はみんなの前で、その酷い行為について告白した。「じつは私、シャワー中におしっこしちゃったの」と。僕は思わず「。。。それだけ?」と聞いてしまった。で、「この中の何人がシャワー中におしっこしましたか?」と会場に聞いてみた。そしたら半数くらいが手を挙げたさ。でもって、たぶん残りの半分は嘘をついてるとみたね(笑)。
27 とにかく、彼女が理解しなきゃいけないことは、それは決して起こらなかった、ってことだ。それは幻覚だ。でも君は「そんな事より、自分のほうがよっぽど重大な過失を犯したことがある」と思うかも知れない。違う、それは重大なんかじゃない。そのことはあのことに比べてよりリアルだという事はない。それらは全て等しく真実ではない。誰かを傷つけたとか、あるいは物理的に傷つけたとしてもだ。でもそれは実際には起こっていない。幻覚だ。

 

全てが幻想なら何をしても良いのか?
40 ゲイリー:先週あった質問がちょっと大事だと思うので答えよう。それは「この世界がすべて幻想であり、何一つ真実でないなら、私たちは好き勝手してもいいのでは?」というやつだ。41 例えば好きなだけセックスしたり、狂ったように人を殺しまくったり、どのみちすべて幻想なら何をしても構わないでしょう、と。
それは実際にはこういうことだ。君が本当にコースを実践して、赦しのステップをやってるなら、それらは自動的に君を愛へと導く。さっきも言ったように、君の真の姿は愛なのだから。君が赦しを実践するなら、自我を訂正することになり、君はもっともっと愛に近づく。つまり君は誰にも危害を加えるような事はしなくなる。人生を愛の象徴として生きるようになるから。だから(赦しを実践していれば)君は惑星を破壊したりするような事はしない。42 コースは自我を訂正するためのもので、君を自動的に愛へと導く。それは自然に起こることで、無理やり(愛になろうと)頑張る必要はない。

 

トマスとJの愛、ローマ帝国時代
1:22 ゲイリー:なんで僕がJの誕生月を覚えているかと言うと、2000年前、Jとトマスは同い年だったから。しかも見た目もそっくりだった。時には冗談を言ってイタズラをしたりもした。たとえばJと僕が入れ替わったフリして遊んだりしたんだ。けど、さすがに僕はJの基準は満たせなかった(笑)。Jと同じになるのは大変なことだ。
Jの顔は愛にあふれていて、時に直視できずに顔をそむける人がいたほどだ。圧倒的な愛だった。Jをみた人がどう反応するかを観察するのは面白かった。Jを嫌っている人でさえ、Jには手出しができず、Jに影響を及ぼすことはできなかった。1:23 コースでJが言ってることは文字通りのことなんだ。たとえば「赦し」について、「それは、神に属さない何かがあなたに影響をおよぼす力があるということを、否定する(T-2.II.1.11)」と言ってる。Jは何にも影響されることはなかった。人々が何をしようと、何を言われようと、彼らがJを侮辱しようと。
当時のローマ帝国時代、ユダヤ人はみんなローマ人が嫌いだった。それだけが唯一、全てのユダヤ人が同意できることだった。たとえ僕らが言い争っていても、そこだけは意見の一致をみた。それが僕らのローマ人に対する憎悪だったんだ。それは当時の赦しのレッスンだったのだが、僕らは赦しのレッスンに気づかなかった。1:24 教師のマニュアルには、常に完璧なレッスンが目の前にあるという。だがその事はほとんど気づかれることがない。(それはいまの時代も変わらない)

 

★Q2「私は先週、手術で腫瘍を摘出しました。現時点では癌かどうかは分かりません。その検査結果が出るまで冷静でいるのはなかなか大変です。心がさまよい、周囲の人々にも苛立ってしまいます。この不確実で難しい時期を過ごすためのアドバイスをください」

1:36 ゲイリー:僕らはみんな同じクラブのメンバーだ。僕らはみんな自分を肉体だと思ってる、いまでも。(中には自分が肉体ではないという考えに馴染んできてる人もいるかもしれないけど)。いずれにしても、歳を取るということはプロセスの一部だ。1:37 あと2ヶ月で僕は70歳になる。身体が以前ほど動かなくなってくるのは、このゲームの一部なんだ。たとえ君が自分自身を超健康に保っていたとしてもね!身体が少しずつ故障しはじめるのは、単に時間の問題だ。
これは素晴らしい赦しの機会といえる。それは易しいか?NOだ。君はときに怒りを抱いたりするか?YESだ。どうか、そうしたことを否定しないで欲しい。僕らが肉体にいると感じているうちは、否定しないこと。Jはそれを「否定の中でもとりわけ無価値な形の否定(T-2.IV.3.11)」と言っている。なぜならそれは自分の体験について嘘をついてることになるからだ。1:38 君は動揺している事について正直でならなければならない。動揺するのはごく自然なことだ。いちどに全部を赦そうと試みるのではなく、その都度少しずつ赦すようにしよう。心の中に聖霊を探し、自分にこう言おう:「オーケー、私は悩んでいる。(摘出した腫瘍の)検査結果がどうなるか分からないから。」
僕もそういう状況にいたことがある。幸い、結果は悪くはなかった。だがいつも良いニュースとは限らない。だから、先回りして赦すんだ。自分に「そうだ、僕はどんな検査結果がこようと平安でいる事ができるんだ」と言う。これが「言うは易し行うは難し」だというのは知ってる。あんたがそう言うのは簡単でしょうよ、と思われるかもしれない。だが、僕も君と同じ状況だったことがあるんだ。
君の周囲の人が心配していることについては、君が彼らを作り上げたということを思い出すことだ。君が関わる医者や、まわりの親族など。1:39 これは誘惑を超えて見る機会なんだ。コースによれば、これは誘惑の典型例だ。彼らはよってたかって神の子である君が肉体だと説得しようとする。これはまさに自我がしようとしていることだ。君は肉体で、周囲の人々も肉体なんだと。だからいま君の目の前にある挑戦とは、このことを聖霊と共に見ることだ。自我ではなく。
わかってる、それは難しいことだ。だけど、君にはできる。聖霊はできもしない事を要求したりはしない。だから、以前にも増して(赦しを)頑張ってほしい。検査結果がどうなったか教えて。もし良いニュースなら祝おう。悪いニュースなら、赦そう。それに、もしかしたら自分で思っていたよりうまく(病を)やり過ごせるかもしれない。聖霊と共にいれば(病気でも)楽観的でいられる。

 

★Q4「人が刺激物(カフェイン、砂糖、薬物など)に反応すると、通常よりもっと苛立って怒りっぽくなります。怒りというのは単なる化学反応ですか?それとも無意識の怒りが表出してるのですか?」

1:43 ゲイリー:それは無意識の罪悪感による怒りだ。カフェインや砂糖や薬物といった刺激物が「すでに無意識の心にある怒り」の引き金になっている。だが、その怒りは元からそこにあり、隠されていただけだ。そして何かのトリガーで表出する。アルコールなんかは、人々の怒りを引き出す良い例だろう。薬物なんかもね。刺激物はなんでも構わないのだが、それがきっかけで罪悪感が怒りという形で現れる。だが、その罪悪感というのは、もとからそこにあったものだ。つまり、(外的な刺激によって)より怒りっぽくなったわけではない。だがそれを赦せば、より多くの力が君に戻ってくる。

1:44 シンディ:それを知っていることは大事。コースは象徴(symbol)と源(source)を混同してはならないと言ってる。象徴というのは薬物だったり砂糖だったりするけど、それらが私たちの怒りの源なのではない。私たちの外にある象徴が原因ではない。私たちはどんな怒りであっても、常に「源」に帰らなければならない。不満はもとからそこにあったもの。薬物や刺激物といったものはそれを表出させるだけ。同時にそれは、赦される必要のあるものを教えてくれる機会でもある。それらが癒やされるために。1:45 そのように見れば、あらゆるものを癒しの機会として見ることができる。

 

★Q5「Jが復活して弟子たちの前に姿を現したとき、Jは何を教えたのですか?」

1:45 ゲイリー:Jが復活のときに僕らに教えようとしたことのひとつは、「ひとつの肉体をつくることが出来るなら、同じくらい簡単に別の肉体を作ることもできる」ということだった。1:46 もちろん僕らは(死から蘇ったJを見て)完全にビビってたので、意味が分からなくて「何!?」ってなった。僕らは(肉体というのは)他の人々と同じように、ごくノーマルに、赤ちゃんとして生まれてくるものだと思ってたから。だが、心がそのすべてを作り上げているとはまだ気がついてなかった。だから当時の僕らにとっては(Jの復活は)非常に混乱する出来事だったんだ。
でもそれは2000年前の出来事だったことを覚えていてほしい。というか、これは現代の人間にとってさえ混乱する話だろう。いくら科学が発達して量子物理学を扱うような時代になったとしても、これは未だに人々をビビらせる話だ。この世界の全てが起こっていなくて、あらゆるものは心からくる投影による幻想だ、ということを初めて理解するということは。
1:47 Jは当時の僕らがまだ(このことを)理解できないということを知ってたので、後にコースの「十字架刑のメッセージ(T-6.I)」で(同じことを)教えている。あと、ケン・ワプニックの「天国から離れて(※)」の中にも、Jがそれを教えようとしたが弟子たちが理解しなかったという記述がある。だが、そのことで当時の弟子たちを責めることはできないだろう。※p459-461 14章「物理的な復活は存在したのだろうか?」を参照。

1:47 (Jの復活の時)それ以外に話してくれたことでは、彼は愛を教えた。「十字架刑のメッセージ」で「愛だけを教えなさい。それがあなたの本性だからである(T-6.I.13)」とあるように。それがJの十字架刑のメッセージなんだ。Jが十字架刑のあと僕らの前に現れたとき、彼は完全に純粋なる愛だった。彼の幻想の肉体から光が溢れているようだった。
Jは(復活した時)別に6時間フルタイムの講義をしてくれたわけじゃないさ。彼が話したのは15分ほどだったが、それは僕らに深い印象を残した。1:48 何しろ、あの頃は全ての弟子たちが十字架刑のことでパニクってたから。そして僕らは(Jが処刑されたことで)完全にヤル気をなくしていた。僕らはどうやってこの地から逃亡するか計画していたくらいだ。
だがJが復活して現れたとき、そのことが僕らの考えを完全にひっくり返した。「どうやって逃亡しようか」だったのが、「どうやって世界に出ていって、この事を伝えるべきか」に変わった。当時の僕らが伝道した福音というのは愛と赦しについてだった。それ以外の神学論はすべて後世のあとづけだ。
これが、「十字架刑のあとで、なぜ使徒たちが世界に出てこの話を伝道したか?」という疑問についての最も筋の通った説明でもある。1:49 なぜなら当時、そんなことをしたら殺される危険が十分にあったからだ。