ゲイリー・レナード語録

ゲイリー講座のゆるゆるメモ

ゲイリー講座 (58) あらゆる苦痛は心の投影

【第58回】
A Whole Month of Q & A! (Part 2)
https://www.crowdcast.io/e/qa-jan-2021/2
2021/01/28(PST)→JST 01/29 10-12時

 

★Q2 赦せば必ず何らかの癒しが伴うということ
「もし癒しが赦しであるなら、なぜ教師のマニュアルには癒しを疑って同じことを繰り返すべきではない(M-7.2)と言ってるのですか。だって私たちは何度も繰り返し赦す必要があるのでしょう?何が違うんですか?二元的な癒しは非二元の癒しとは違うということですか?」

22 ゲイリー:そのとおりだ。それが答えだ。これが難解だと思うのは、僕らが"肉体の症状が消え去ることが癒しだ"と思ってるからだ。23 その癒しの結果は、目で見て分かることもあるだろうし、そうでないこともある。しかしマニュアルは(たとえ目に見える結果が伴っていなくても)必ず何らかの癒しは起こっている、と言っている。それに、癒しは君の肉体で起こることもあれば、他者の肉体で起こることもある。癒しは分子レベルで起こっているかもしれない。とにかく必ず何らかの癒しが起こるってことだ。だけど、君が癌だったとして、その癌が突然キレイに消えてしまうとかいう話ではない。そういうことも起こりうるけど、いつもそういう事が起こるわけじゃない。

24 シンディ:ひとたび赦したなら、その奇跡は決して失われない、ということは強調しすぎることはありません。これが上手くいくためには、結果に対して一切の執着を手放すこと。たとえ癌のようなものがあったとしても。肉体は私の心の外側にあります。だから訂正すべきは私の心のほうです。25 でもそれと同時に、あなたは薬を服用して、医者にかかって、この世界のレベルでやるべきことをやります。もし痛みがあるときは心でその痛みを感じていると知りながら。26 そんなときは「いま持てる最も愛ある想念は?」と自問すること。そこから始めるのです。(肉体的に治癒したいという)その執着を手放すのがいちばん難しいところですね。

 

★Q 平安を共有できない理由
「テキストでは "...もしあなたがいかなる種類の恐れからも完全に自由であり、あなたと出会う人々や、あなたを想う人々までもが、あなたの完全なる平安を共にするなら、そのときこそ、あなたは自分自身のレッスンではなく神のレッスンを学んだと確信してよい。(T-14.XI.5)"と言ってます。一方Jは"預言者は故郷では歓迎されない"と言い、十字架にかけられました。Jを十字架にかけた人々はなぜJの平安を共有できなかったのですか?」

36 シンディ: 良い質問ですね。私は当時Jに出会った人々はみなJの平安を受け取ったと思うけれど、人々の側がその平安を脅威と感じたのでしょう。Jがあまりにも愛に満ちていたので、彼らは恐れ(攻撃)で反応しました。37 例えば、あなたが誰かに微笑んだとき、相手がぎょっとするような攻撃の表情を見せたことはないですか?それは、彼らがその時点ではその愛を受け入れることができないということです。彼ら自身が心の中でその愛を感じられていないから、脅威と感じるのです。相互に共有できない思考体系(自分注:聖霊vs自我)は攻撃として認識されるからです。

 

★Q6 洗礼者ヨハネとの絆、教えの違い

「洗礼者ヨハネはJと同じことを教えていたのですか?」

1:21 ゲイリー:洗礼者ヨハネとJは従兄弟同士だった。2人とも子供時代からお互いを知っていた。そんな洗礼者ヨハネがイエスを洗礼したのは興味深い。1:22 再会したとき、彼らは6-7年会ってなかった。だがヨハネはJに気づいた。そしてヨハネは預言を知っていて、Jがその預言された救世主だということも察知していた。しかし、ユダヤ人にとってその預言は「王のような救世主」をイメージしていた。つまりローマ人から救ってくれるような政治的指導者を期待していたんだ。だがJは僧侶のような救世主となった。彼は純粋な霊性の道を教えた。つまり人々の欲していたものを与えたのではなかった。

一方、洗礼者ヨハネは興味深い個性の持ち主だった。1:23 荒野に住んで人々に「悔改めよ!悔改めよ」とやるような、旧約のユダヤの教えを説いていた。彼は変わってたし、いろんな意味で声が大きいタイプだった。で、Jが来た時、ヨハネは人々を洗礼していて、Jもヨハネに洗礼されるために訪れたんだ。ヨハネは「あなたこそ私を洗礼するべきです」と固辞した。しかしJは「いや、あなたが私を洗礼してください」と答えた。彼らのあいだには絆があったんだ。

1:24 洗礼者ヨハネは、Jが教えようとしていることをまだ理解していなかったが、彼はなかなかのサイキックだったので予感はあった。ヨハネは、Jが霊性の道の新しいリーダーになると知っていた。そしてJが、人々が聞いたことのないような教えをもたらすだろうということもね。

 

★Q9 あらゆる苦痛が心の投影であること

「ワークブックのレッスンは主に世界は幻想で実在しないという話です。このことは物理的な感覚とどうつながっているのでしょう?たとえば、痛みやその他の肉体的不快感なども実在しないわけですが、(我々は)確実にそれを感じます。実在しないものを感じないためにベストな方法はなんですか?」

1:44 ゲイリー:君が感じていると思ってる感覚は肉体の中にはなく心にある。苦痛はメンタルなプロセスだ。痛みは肉体にあるように見えるが、肉体は(心から)投影されたものだからね。君が時空の宇宙を投影している。痛みも快楽も心による投影だ。しかし、それが心から来ているというのは良いニュースだ。心は変えられるからね。

(実在しない感覚の対処法としては)「僕にあると思っていた罪悪はないんだ、神からの分離は不可能だから。僕は有罪だと思ってたけど無罪だった、だからこの痛みを感じる必要はない」と、その投影を巻き戻すような感じだ。

1:47 シンディ:いまチャット欄に「私は足を切断しましたが、ないはずの足にいまでも幻肢痛を感じます」というコメントが来ました。これなどはまさに、(痛みが心からの投影だという)完璧な例ね。

1:47 ゲイリー:腕を切断して3年後にその存在しないはずの腕が痒くなるということだってある。心の中に身体全体があるんだ。心の投影の特徴は、それが心の外にあるように見えることだ。だが投影の源は依然として心にある。結果ではなく原因から考えることだ。