ゲイリー・レナード語録

ゲイリー講座のゆるゆるメモ

ゲイリー講座 (59) 他者に対する責任

※間違えて先に講座60を視聴してしまったのでコッチを後に出します。

 

【第59回】
The Equality of Miracles, from ACIM Ch. 14, Section X
https://www.crowdcast.io/e/equality-of-miracles/1
2021/02/11(PST)→JST 02/12 10-12時

 

他者に対する責任はない

46シンディ: 私たちは他者の振る舞いに対する責任はありません。それは彼らの仕事であり、誰もがそれぞれに自身のための贖罪を受け入れる責任があります。だから、この世界のレベルでは他者がどう行動するかの責任はあなたにはないんです。もし自分が他者のことに責任があると思っているなら、その重荷は手放して構いません。
私たちの何人が「彼/彼女にいやな思いをさせたくない」「彼/彼女の感情を傷つけたくない」と言ってきたでしょう?でもあなたは決して、他の誰かを傷つけたり特定の感情を抱かせたりすることはできません。彼らがどう感じるかは彼らの仕事です。私たち全てが、自分の想念に責任があるのだから。
だからって、他者に意地悪なことを言っていいということにはなりません。47 だけど、もしあなたがそういう攻撃的な言い方をしてしまって後で後悔するなら、まず必要なのは自分自身を赦す必要があるということ(もし嫌な気分でいるなら)。同時に、その他者も肉体ではなく心であり、彼らも彼ら自身のために選択できるということを思い出すことです。
彼らがあなたの言葉をどう解釈するか(は彼らの責任)。また、より高い視点に立つなら、「まてよ、形態上はそのように見えるけど、これはイメージ(形象)に過ぎない。これは私の夢であって、私があらゆる登場人物を作り出し、そうすることで自分の罪悪感を外に見ようとしている」と思い出すこともできます。

 

★Q 断食と悪魔の誘惑
エスユダヤ裁くで40日間断食して(悪魔に)誘惑されたという福音書の話は本当ですか?

1:02 ゲイリー:Noだ笑。新約聖書にあるJの話のほとんどはつくり話で、他の話がもとになっている。(中略) キリスト教で見られるもののほとんどは(キリスト教)オリジナルではない。1:03 例えば処女懐胎はオリジナルのアイデアではない。宗教を作ろうとした人々がギリシア神話やJの後の時代の話をもとにした。新約聖書にはそんなものがいっぱいある。
Jは40日も断食する必要はなかった。その断食の話は、Jがほとんど食べる必要がなかったことから来ているのだろう。じっさい、Jは食物を必要としなかった。彼は何も必要なかったんだ。こんにちでさえ、日光だけで生きていける人はいる。Jは悟ったマスターとして何も必要としなかった。そこから断食という話になったんだろう(食べる必要がなかったから)。
1:04 そのとき(悪魔の)誘惑があったという話について聖書では、サタンが「おまえに世界をやろう」と言ったのに対し、イエスが要らないと言ったことになってる。僕は、もしそんな状況が本当にあったならJはそう言っただろうと思う。ただしそんな事は起こらなかったけどね。だからJの姿勢の描写としてなら、この話は正確だと言える。
だが、彼にとって"誘惑"の概念というのは、他のみんなのものとは全然違った。彼がコースで言っている"誘惑"とは、君が肉体であると納得させられてしまうことだ。それが真の誘惑なのであり、サタンによって世界とか物質的なものをオファーされることではない。
1:05 というわけで、こうした話は実際にあったことをもとにして書かれてはいるが、本当の話ではないってことだ。だから僕は聖書のほとんどの話を文字通りに受け取ってはいない。

 

★Q 迫害されなかった使徒

パウロ(元サウロ)達がトマス達を迫害して殺そうとしたという話がありました。だけどヤコブとペテロは迫害されることなく公の場に残っています。なぜヤコブとペテロだけそうなったのですか?また復活のあと、ヤコブエルサレムのラビの長として残ることができたのですか?それとも新しい教会を始めたかどで追放されたりしたのですか?

1:15 ゲイリー:Jの兄弟ヤコブ(James)とペテロはパウロ(元サウロ)とすごく親しくなった。パウロは初期の教会に宛てて美しい手紙を書けたから2人が気に入ったんだ。2人はそんなパウロが使えると思った。パウロは雄弁だったが、彼らはそうじゃなかったからね。
1:16 一方、僕つまりトマスのほうはJが実際に言った言葉にもっと近い福音書を持っていた。だからトマスの福音書を読めば、(新約聖書の後半を占める)パウロの手紙とは全然違うことが分かるだろう。つまり彼ら(パウロ側)は最初からトマスを拒否していた。なぜなら、彼らは宗教を興したいと思っていたからだ。
だがトマスは新しい宗教を興すことには興味がなかった。彼はJの叡智の教え(wisdom teachings)を人々と分かち合いたかったんだ。これは全然別物だ。だから、キリスト教はJの叡智の教えに基づいてはおらず、使徒パウロの神学に基づいている。それがヤコブとペテロにはうまくハマったので仲良くなった。
追放されたのはトマスのほうだ。1:17 彼らとは全く違うこと(Jの教えに非常に近いもの)を教えていたからね。